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TRAUMA MAKING
Graduation Works
歪な怪物
つくる意味と私
私の抱いた感情と意志を持ってして「私がつくった」ということに意味がある。
いろんな要素が混在していろんなものを経て最終的に作品が出来上がるが、全て共通して私自身が私とその作品とその今後に期待できる、わくわくできる、ドキドキできるものである。
やっと少しは、自分の感情を整理出来てきて、やりたいこと、やるべきこと、がわかってきた。
良いテーマを持って良いスタートが切れた気がする。
今の私にとって祖父の存在、杉山家の存在が本当に支えになった。苦しくておかしくなって自暴自棄になって全て壊したくなっても祖父の言葉を聞くと澱みが消えて、自分が進むべき道、見るべきものが明確に見えて来る。命の恩人でもあると思う。自分自身の人生、制作において心の支えで、頑張る理由で、希望。
これからは私が私自身の希望に、そして他の誰かの希望になるとこを目指す。
心から杉山家に生まれたことを幸せに思う。
私にとって作品をつくるのは昇華であり自身を愛するための行為だ。自身の気持ちを誰かに言ったところで、碌なことはない。期待出来ない、解決出来ない。相手も不快になるし、こちらも、あぁ駄目じゃんって虚しい気持ちになったりする。自身の中でぐちゃぐちゃになる感情を、作品として形を与え、可視化し、昇華させる。それが出来上がるまで、自分の感情を自分の中で掻き混ぜては吐き出し、客観視し、反芻する。そうして出来上がった作品は私にそっくりな、私以上に純度の高い私じゃないだろうか。
理解して欲しいのに、理解されてたまるかって思う。優等生でいたいのに、全てを投げ出したくなる。良い顔してれば全て丸く収まるってわかってんのに、なあなあな空気が気持ち悪くて許せない。自身を美しいと信じているのに苦しんでいる現状がある。矛盾ばかりでぐちゃぐちゃで、頭が悪い程に真面目だと思う。
制作するプロセスで自分が神になる瞬間と自分が屑になる瞬間がある。命懸けで自分の中身を抉り出し、自分の目にギラギラと映る、輝くもの達を拾い上げる。それこそが歪な怪物だ。
それは美しくも攻撃的で生命感に溢れている。取扱注意なそれを抱き締め飲み込み、飲み込まれ、愛し、愛され、殴り合い、繰り返す。
一瞬でも気を抜いて、現実世界の穢らわしいものに気を取られると、怪物達に突き離されてしまう。
命懸けだ。
そのギラギラしたものと現実世界の私とがリンクした瞬間、最高の快感に包まれ、全ての欲、悩み、苦しみを忘れ、私こそが神だと感じられる。私が私の希望になる。
美しく、強く、完璧な、私と怪物たちが心地良いと感じる私になりたい。
歪な怪物とひとつになりたい。